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ライクケア人物伝

ホッとライブ横山台施設長

長澤 哲也

バブル時代に大手旅行会社に勤めていた長澤施設長。日本全国に留まらず海外にも飛び回っていた最中、女手一つで育ててくれた母親が病に倒れたのです。「男なら東京の大学に行きなさい。」と田畑を売って送り出してくれた母親でしたので、止むに止まれず家族を神奈川に残したまま三重の実家に戻りました。3年間実家で看病し働きつつ、介護を学んでいたことがその後の人生を方向付けることになったのでした。

神奈川に戻った時は45歳。就職先に苦労しましたが、介護スタッフとして仕事にありつけたのがホッとライブ横山台だったのです。ところが半年後、当時の施設長が異動ということになり後任に白羽の矢が立ったのが長澤施設長だったのです。青天の霹靂でしたが、心に浮かんだ言葉がありました。明治大学に通っていた時にラグビー部の監督が魂としていた「前」の一文字です。壁を突破して前進するのだという強い意志が込められた「前」の一言が長澤施設長を後押ししたのでした。
その後、4か所のホームを施設長として歴任しますが、「現場を左程知らない私をスタッフ皆が支えてきてくれたから、今日があるのです。私には感謝しかありません。入居者様同様にスタッフが大事なのです」と語るのでした。一方、スタッフに対して絶対許さないことは、入居者様に対して横柄な態度を取ることです。「入居者様は戦乱の最中耐え抜き、今の平和な日本を築きあげた方たちなので、感謝をもって接することは人として当たり前」であることを教えています。

休日には必ずスーパー銭湯で3時間は過ごすという長澤施設長。
ボーっと入浴しながら浮かぶ思いは、早稲田大学に通う息子と新国立競技場で早明戦を観戦したいということなのです。「息子が子供の頃は、よく大学対抗ラグビーを観に行ったのですがね…」と親父の哀愁を漂わすのでした。
さはさりとて、今日も「前」に向かって長澤施設長は進むのです。

(蟹江記)

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